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瀧と三葉の幸せを祈るブログ

今だから10代に聴いて欲しい Vol.1 NUMBER GIRL

どうも、僕です。

僕は今24歳なのですが、今の10代の人たちが何を聴いているのかあんまりわかっていません。 セカオワKANA-BOON?ワンオク?ゲス極?クリープハイプ?その他もろもろ・・・。

自分から今の10代に贈りたい音楽って何?

僕が10代の頃に聴いていた音楽は、どうも当時の僕より10歳上の人達に評価されていて 世代のズレを感じていましたが、とても素晴らしかったです。

年代で言うと1995年~2005年の10年間に活躍をしていた、つまり2000年前後がピークだったバンド

そういったバンドが、今の邦楽ロックにどんな影響を与えているのか。 そして聴いて欲しいという思いから、今だから10代に聴いて欲しいシリーズを思いつきました。

「ギターによる躁焦音楽すなわちROCK」 1995-1998

NUMBER GIRLは1995年に福岡県博多区で結成された。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのN.G.S.や きのこ帝国のGirl meets NUMBER GIRLの元ネタとなったバンドといえば知らない人にも伝わるだろうか。

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当時、宅録などで音楽活動をしていた向井秀徳が、 ライブハウスでは名の知れたメンツを集めた「スーパースター集団」 それがNUMBER GIRLであった。

鋭角なギターサウンド、ルードにそった直線的なベース、自由気ままなドラムスタイル 個々の個性が強烈であるのに、上手くマッチングしバンドとして完成されている 恐ろしさがNUMBER GIRLにはある。

 

 

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博多を中心にライブ活動を重ね、1stアルバム「School Girl BYE BYE」を発売する。

様々なバンドに影響を受けていた向井秀徳であるが、顕著に言えるのは 「Pxies」(ピクシーズ)であろう。 初期のNUMBER GIRLには随所にPxiesのオマージュやリスペクトを見ることができる。

NUMBER GIRLのライブパフォーマンスは地元福岡のみならず、東京までその声が届くことになる。

「鋭角サウンドが君を突き刺す」 1998-2000

NUMBER GIRL東芝EMIでディレクターをしていた「加茂啓太郎」に声をかけられる。

加茂啓太郎は下北沢のレコードショップで「ズボンズを食った」というポップがつけられた 「School Girl BYE BYE」を聞いて、EMIのスタッフとともに福岡へ向かったそうだ。

EMIスタッフとの話し合いの末、NUMBER GIRLはメジャーデビューと上京を決意することとなる。

 

 

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メジャーデビューシングル「透明少女」 一旦は東京の超豪華設備のスタジオで録音されるものの、向井の「なんか違う」という意見で 地元福岡のスタジオで再録されたものが採用されている。

NUMBER GIRLは東京でも着実にライブ活動を重ね、アメリカでもライブを行い、 メジャーデビュー直後としては異例のライブアルバム「シブヤROCKTRANSFORMED状態」をリリースする。

 

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メジャーデビュー間もないバンドがこの盛り上がり。 そして鬼が宿ったかのような演奏陣のパフォーマンス。 観客の熱狂っぷり。 すべてが1990年台末期のロックシーンを表しているのではないかと思う。

デイヴ・フリッドマンをプロデューサーに迎え、制作された2ndアルバム「SAPPUKEI」

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デビュー直後のNUMBER GIRLと比べるとより都会感、殺風景感が増したと思われる。 向井秀徳eastern youth吉野寿に影響され、叫ぶような歌い方に影響を受け 声をしゃがれるまで叫び倒すボーカルが印象的になった。

Live of NUMBER GIRL

NUMBER GIRLの一番の魅力と言っていいのはライブだ。 1998-2002解散まで、様々なライブに出演し鬼迫のパフォーマンスを見せてきた。 その一部を、メンバーの名場面と共に紹介していきたい。

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Rising Sun RockFestibal in EZO 1999 透明少女

冴えない浪人生ルックス、つたなく意味の分からないMC、赤いテレキャスター ファーストインパクトはものすごいが、なによりも曲が始まるとすべてがひっくり返ったかのようにカッコ良く変化するのが Tihs is 向井秀徳の魔法なのだろうか。

 

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TATOOあり 田渕ひさ子覚醒ver ギタリストからすれば拷問かよってレベルの長さでギターソロを弾き倒す田渕ひさ子

女性ギタリストとしてはあまりにも気迫が入ったプレイスタイル

当時まだ邦楽ロックシーンではあまりメジャーではなかったジャズマスターを 一躍シーンの舞台に運んだ立役者と言っても過言ではないし、 昨今のジャズマスターガールを量産している元凶(褒め言葉)でもある。

 

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ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002 鉄風鋭くなって

日本一早いダウンピッキングを持つ男と呼ばれた中尾憲太郎の真骨頂を見せるこの曲。 向井秀徳アルペジオも印象的だが、客のoioiコールよりも 早いテンポでベースを弾く中尾憲太郎はやはり凄い。

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2000年末 ツアーファイナル 福岡ドラムロゴス InazawaChainsaw

ドラマーではないので説明ができませんが、ドラマーに聞かせると 大抵白目を剥く。 自由に叩きまくるアヒトイナザワのプレイスタイルだからこそ 出来上がった曲なのではないだろうか。

「福岡市博多区から参りました」 2000-2002

3rdアルバム「NUM-HEAVYMETALLIC」はより殺伐としたアルバムとなり、 ピークもとい成熟期となったNUMBER GIRLの快進撃を止められる者は当時もう誰もいなかったと思われる。

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しかし、絶頂期であった2002年夏頃、突然解散の発表がなされた。 Ba中尾憲太郎の脱退をきっかけに、バンド解散が決定された。

多くのファンが嘆き悲しみ、残りのライブを大切に見守った。 2002年11月30日、北海道札幌ペニーレーン24で 行われたツアーファイナルをもってNUMBER GIRLは解散した。

当日の模様は後にアルバム「サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態」として発売される。 

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ラスト2曲前、向井秀徳の名MC このMCは是非聴いていただきたい。

当時アルバムを通じて、このMCを聴いた私は心底震えたものだ。 ここまでカッコイイ去り際を演出できるMCが出来る向井秀徳という人間に。 「歴史というものは~」のあたりはもうたまらない。 ありがとうNUMBER GIRL

NUMBER GIRLが邦楽ロックに与えたもの

歌詞、プレイスタイル、楽器 様々な点から 今の邦楽ロック界にNUMBER GIRLが残したものは 短い時間だったがとても濃い内容だと思う。

その鋭角なサウンドや、向井秀徳独特の歌詞感、そして ルックスだけが音楽じゃないという大きな勇気を与えてくれた。

そしてジャズマスターを持つ女子が増えたのも間違いない。

多くのミュージシャンがNUMBER GIRLに影響され、 NUMBER GIRLメジャーデビュー15週年企画では各著名人から 祝福のコメントが寄せられた。 15年目を迎えての向井秀徳のコメントと、 最もNUMBER GIRLに影響されたであろう、かつ現代の鋭角音楽を受け継ぐ 凛として時雨のTKのコメントでこの記事を締めくくりたいと思う。

「これねえ、もう、ひと言で言わしてもらいますけども ……青春なんですよね。すいません、青春です」向井秀徳 「こんな奇跡が鳴っていたことを知らなくていい理由なんて無いと思う。 たった1枚のCDが人生を変えることもあるんです。」TK(凛として時雨

そう。NUMBER GIRLは僕達の青春なのだ。 僕の青春がNUMBER GIRLであったように、これから多くの音楽に出会っていく 10代のあなた達の青春にNUMBER GIRLがあることを、心から祈っている。

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